shin爺のぽかぽか日記

年金生活のおじいちゃんです。まだまだ元気?!車中泊・温泉大好き!

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東京パラリンピック雑感(^^♪

東京オリンピックパラリンピックが終わりました。前回東京で行われたのは1964年。当時私は14歳の中学生でした。岐阜の片田舎の家で白黒のブラウン管テレビで観戦した記憶がかすかに残っています。自衛隊員の円谷選手が2位になったこと、東洋の魔女と言われたバレー女子チームが優勝したことなどが思い起こされます。マラソンアベベ選手の姿も覚えています。確か「裸足のランナー」と呼ばれたアベベ選手もこの頃は靴を履いて走っていたのですね。調べてみると、1960年9月のローマオリンピックで偶然靴が脱げてそのまま走り優勝したのだそうです。(なんだ、そうだったのか)
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さて、今回の2020東京オリンピックパラリンピックは、1964年の東京大会以来、世界で初めて同じ都市で2回目の開催となりました。 史上初の大会延期、コロナ禍での開催というかつてない形となった2021年の東京オリンピックパラリンピック無観客の会場には選手・監督やコーチなど関係者の言葉だけが大きく響いていました。1年延期になった2021年の実施ですが、名称はそのまま「2020」のままで行われました。新型コロナ感染拡大による1年延期、聖火リレーの度重なる予定変更や中止、さらには無観客での開催・・・ その日が来るまで、日本中で開催の是非が盛んに議論されたことは記憶に新しいですね。様々な意見がありますが、個人的には実施されて本当に良かったと思っています。組織委員会橋本聖子会長は大会の総括記者会見を開き、「大会が完全に成功したのか、しなかったのかは歴史が証明してくれると思っている」と述べたのは、全く同感でした。
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大会マスコットのソメイティソメイティ.png
オリンピックは7月23日の開会式に始まり8月8日の閉会式で17日間の全日程を終えました。また、パラリンピック2020は8月24日の開会式に始まり9月5日の閉会式で13日間の全日程を終えました。 前半に行われたオリンピックも感動的でしたが、個人的にはパラリンピック競技の数々の方が数倍・数十倍も感動的でした。
パラアスリートから聞こえてくる言葉「失ったものを数えることはしない」「今の自分でできることは何かを求めて進む」、それはなんと強い生き方でしょうか。「なぜ自分だけが」と思いたくなるような事故・怪我・病気を振り返ることを止め、前に進むことを選んだのです。何かを理由にして挑戦をあきらめない。視線は常に前を向く。その力強さに惹かれますね。一人ひとり全く違う事情を抱え、そして数々の想像を超える困難を乗り越えて東京へ集ったのです。今回は日本での開催でもあり、連日いろいろな競技が放送されました。多すぎてすべての競技をTV観戦できませんでしたが、どの競技も「これまでの苦難の道」が紹介されるたびに涙腺が緩んでいる自分がいました(年のせいなのかな?)
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私が観戦した競技の中のいくつかをご紹介しましょう。 まず、車いすバスケット男子。私自身中学~高校とやっていたスポーツ。教員になり部活動でもバスケ部顧問をしていたので関心が強かった競技です。ダブルドリブルがない、ボールを持ったまま車輪を3回以上回すとトラベリングになるといった車いすでのプレーに合わせたルールが通常のバスケットとの主な違い。しかし、コートの仕様やゴールの高さ、ボールの大きさはバスケットボールと同じなんです。 バスケットボール.png
特に活躍が目立った選手として、長身のセンタープレイヤー藤本選手、ずば抜けた身体能力を持つ次世代のエースでガードの鳥海選手(この選手の活躍が日本チームのメダルにつながったと言っても過言ではないでしょう)、チーム最年少プレーヤーで障害が比較的重いほうなのに、スピードにあふれたダイナミックなプレーをする赤石選手、パラリンピック4大会連続出場でプロとしてドイツでプレーしている日本のエース・香西選手のスリーポイントシュートは見事でしたね。中でも見ごたえがあったのはスクリーンプレイで、車いすで相手の動きを止めてブロックし、その間に味方選手が中に切り込んだりシュートしたり・・・と、とても面白かったです。
次は、ブラインドサッカー・・・.。この競技は特に勇気が必要な競技に感じました。全く見えない状況下で、声と音だけを頼りにボールの位置を感じ取り、ゴールに向けてシュートするという単純なものではなく、相手選手と激突する危険もある怖~い競技なのです。私なら全く動けないでしょう。 ブラインドサッカー02.pngブラインドサッカー01.jpg
この競技もブラインドサッカーと同様、全く見えない中で、音と声だけを頼りにボールをゴールに向けて転がすのです。ゴールボールです。女子チーム、見事にメダルを獲得しましたね♬
ゴールボール02.pngゴールボール01.jpg

そして、卓球。 驚いたのはエジプトの選手。両腕の肘から先がないイブラヒム・ハマト選手は、球を足でトスしたあと、口にくわえたラケットでサーブするのです。まさに、「今の自分に出来ることは何かを求めて進む」という生き方ですね。凄すぎる!!{%ビックリ(チカチカ)hdeco%}
競泳・・・。

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数々のドラマがありましたが、最も私が涙を流したのはバタフライ100mの木村選手。色の違うメダルはたくさんあるのに今だ手にしていない金メダル。何としても取りたいと執念の泳ぎでした。しかし、感動したのは競技後のインタビュー場面。何と、プール壁面の直前で選手にそれを知らせるタッパーという人。長年支えてきた超ベテランの人が泣き崩れそうなほどの表情だったのを見た私は、一瞬にしてその人になりきっていたのです{%涙(ヒタヒタ)hdeco%}。 木村選手曰く「17年間、ひたすら頭をポンとたたいてくれた先生」。ある意味、木村選手以上に「金メダルをとり、木村選手と一緒に君が代を聞く」ことを夢見ていた人かも知れません。木村選手の言葉「この日のために頑張ってきた。『この日』って、本当に来るんだなと。」は、これ以上何も言わなくても言葉の続きは全てが含まれているように思われました。タッパーの寺西さん、木村選手以上に嬉しかったのかも知れませんね。(😢)
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これも驚きでした。ラソン女子。ガイドランナーが絆となる紐を視覚障害者のランナーと一緒に持って走りきる、素晴らしいの一言です。 マラソン.pngマラソンガイドランナー.jpg
何と50代と60代の人が2人出ていて、2人とも5位・8位と入賞したのです。日本選手最高齢の66歳の人のゴール前の様子は、もう前のめりで今にも倒れそうな走り方。足が何度も痙攣していたそうですね。それでも走りぬくもの凄い精神力です。66歳の西島選手は今回で引退するそうです。お疲れ様でした。<m(__)m>👋マラソン西島.jpg
最後はボッチャ。個人金メダル、ペアで銀メダル、逆転勝利で団体は銅メダル。見事でした。ボールを転がす絶妙のコントロールは、神業ですね。 ボッチャ01.jpgボッチャ02.png
試合直後にタイの選手と称えあう杉村英孝選手。 タイの選手と称えあう杉村英孝選手.jpg
車いすテニスで明石出身の上地結衣選手はシングルスで銀(悔し涙を流していましたね)、国枝慎吾選手は金メダルでしたね。お見事!車いすラグビーもド迫力がありましたね。 車いすテニス.pngb_14656428.jpg国枝慎吾.jpgラグビー.png
まだまだあって話題は尽きませんが、今回はこのあたりで・・・ 現在私は少しだけ「オリ・パラロス」状態で、TVをつけてもなんとなくつまらない感じを抱いています。フ~~~。今回のブログの数々のイラストや画像は、ネット上から拝借しました。<m(__)m>

<追伸> 来年、神戸総合運動公園ユニバー記念競技場にて「神戸2022世界パラ陸上競技選手権大会」が8月26日~9月4日の期間で行われる予定です。家からも近いので楽しみにしています。(いずれボランティアの募集もあると思いますが、応募してみようかな???思案している所です)