shin爺のぽかぽか日記

年金生活のおじいちゃんです。まだまだ元気?!車中泊・温泉大好き!

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行ってきました、甲子園&広島(^^♪

6月8日(月)、対巨人3連戦の初戦の観戦に行ってきました。広島に3連勝した阪神。さて、絶好調中の巨人に対してはどうだったでしょうか???「ぶち破れ、巨人!オレがヤル!」と勇んでも、何をやれば勝てるのかな???やっぱり、ビールをしっかり飲んで応援するしかないか・・・🍺(^^♪20190708_165500.jpg

20190708_165047.jpg 奥さんは、大好きな梅野の看板とツーショット!! 20190708_165229.jpg

試合開始前の選手紹介。私のお気に入り、近本選手です。 20190708_175510.jpg 広島を後にして巨人へ移籍した丸選手。阪神は、結構彼には痛い目に遭わされています。今日はどうなるか? 20190708_175514.jpg 試合前の阪神の練習。 20190708_171416.jpg 20190708_175525.jpg 阪神のピッチャーは西、対する巨人はエースの菅野。 いざ、始まってみると巨人に小刻みに点を入れられ、リードされては阪神も追いかけるように加点するも、結局負けてしまいました。 必死に応援したせいで、翌日は家内の実家・広島へ行く日でしたが、声はガラガラになっていました。

(~_~;) 久しぶりの広島です(広島にいる間に、阪神は巨人に3連敗してしまいました。「頑張らんかい、阪神!!」)。 高齢の義母さんの様子を見に行くのです。昔から穏やかな性格の人ですが、認知が出てきても穏やかさは変わらずで、とっても良い年の重ね方をされています。(本当に尊敬してしまいます(^-^))ひょっとしたら、認知症ではなく短期記憶が恐ろしいほどに短くなっているだけなのかも知れません。今回は、娘である家内の名前や私の名前をしっかりを呼んでくれました。だから俗にいう「まだらボケ」なのかも・・・ 義母さんがデイサービスに出かけた後、世話する必要がなくなったので市内の見学に行きました。

広島観光と言えば、原爆資料館や宮島が真っ先に出てきますが、意外と縮景園や呉は影が薄いのです。今回はその2つを訪れました。 まずは縮景園。ここは65歳以上は入園料230円が無料でした。こういう施設がもっと増えてほしいですね。以下は「広島っぷ」のHPからの抜粋です。
縮景とは、景勝を庭として縮めて模したもので、古くからある日本の庭の造り方です。ここ縮景園はその代表的な庭園となっています。広島各地の景勝を余すことなく凝縮された園は、毎年多くの観光客で賑わっています。 縮景園は池泉廻遊式庭園という造りの庭園で、中央には濯纓池(たくえいち)と呼ばれる池があります。この池を中心とし、北側、東側、西側に小山が築かれており、それぞれ広島の宗箇山・二葉山・弥山の借景となっています。 園の正面入口は南側にあり、まっすぐ進んでいくと、大きな茶室「清風館」が現れます。この茶室下から池を大きく東西に分ける橋「跨虹橋」(ここうきょう)がかかっており、この2か所が縮景園の主要庭景となっています。池には大小10余りの島(亀の形が多い)を浮かべ、これらを中心に北東西、高低豊かな山や川を築き、そこへ四阿・東屋、茶室などが巧妙に配置されています。そして各景観を余すことなく堪能できるよう、その全てが園路で繋げられています。 縮景園の造りである廻遊式庭園は、古くは室町時代から見られ、江戸時代に最盛期を迎えます。諸大名の多くはこの造りを愛し、各地で廻遊式庭園が築かれました。縮景園はその中でも名勝と呼ばれ、廻遊式庭園の代表の一つとなっています。 1620年、当時の広島藩主「浅野長政の次男、浅野長晟(あさのながあきら)」が別邸庭園として、茶人の上田宗箇(うえだそうこ)に造らせたものがきっかけとなっています。もともとは、中国杭州の西湖を縮景したものでした。その後、幾度かの改修が行われ、明治時代初頭に現在の庭園の姿となりました。

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私たちが訪れた時に結婚式の前撮りをしている場面に出会いました。この写真はネット上のものですが、こんな感じでした。 e3670972.jpg また、最近はどこの観光地でもアジア系の人々が目立ちますが、ここはほとんど見かけることなく、むしろ欧米系の人が多かったです。(キーキー、キャンキャンした声が聞こえないので、なぜかほっとする???) 縮景園の見どころは濯纓池(たくえいち)の中央にまたがるこの橋。この池には鯉やカメなどがいますが、池の水を庭園裏に流れる京橋川から取り入れているため、その際に紛れ込んだクロダイなどを見かけることもあるそうです。また、カニが園内のいろんな所にいました。 20190710_133808.jpgカニ.jpg 濯纓池を二分する形で配置された、長さ27.4m×幅2.1mの橋・跨虹橋(ここうきょう)。広島藩七代目藩主の浅野重晟が京都の名工に二度にわたり造り直させたという石造りの橋は、大胆奇抜な手法と景観が目を引く、縮景園の主要建造物となっている、とのこと。石づくりで、段自体が傾斜しているため、上り下りはちょっと危険なようです。 se-photo01.jpg 池に浮かぶ島々は、亀の形をしたものがよく目にはいりましたよ。 亀島_0325.jpg

鯉はたくさん泳いでいましたが、亀も負けないくらいに沢山いて、不気味に大きなミドリガメばかりでした。島に上がって甲羅干しする亀もたくさんいました。 縮景園を後にして、つぎは車で30~40分かけて呉の大和ミュージアムに向かいました。 ここは、戦艦大和の1/10のサイズの戦艦が展示してあるのです。また、すぐ隣には「海上自衛隊呉資料館」(鉄のくじら館)があるので、見学しようと思っていたのですが、まさかのタイミングで臨時休館でした。ガックシ!!退役した潜水艦を目玉展示に使っていて、日本で唯一実物の潜水艦を展示しているのです。潜水艦内部も見学できたはずなのに・・・ 20190710_151449.jpg 雨模様の中、大和ミュージアムの屋外展示から・・・ 戦艦陸奥の41㎝主砲身です。41cm主砲身.jpg屋外展示・戦艦陸奥.jpg 欠けているスクリュー。欠けている陸奥のスクリュー.jpg

戦艦陸奥の主舵.jpg

主舵。  いよいよ館内へ。 大和ミュージアム呉市海事歴史科学館)は、明治以降の日本の近代化の歴史そのものである「呉の歴史」と、その近代化の礎となった造船、製鋼を始めとした各種の「科学技術」を、先人の努力や当時の生活・文化に触れながら紹介しています。館内には、10分の1戦艦「大和」が展示され、大型資料展示室の零式艦上戦闘機六二型や人間魚雷「回天」、特殊潜航艇「海龍」などは、すべて本物です。ボランティアガイドさんがついていろいろと説明してくれました。 まずは、大和の写真。1/10でもすごい迫力です。20190710_162752.jpg 20190710_160619.jpg tour_kure2yamato39.jpg

tour_kure2yamato52.jpg20170429182049.jpgdsc_d300_0004673.jpg
ゼロ戦や人間魚雷等も展示されていました。 aea568918a61d5675c2f716635fb5fb2.jpg 軽量化するために、翼の一部に布が使われていて、鋲で止めずに縫っています。ビックリ!ですね。 yamatomuseum53_160805.jpg43292111_335718177008237_3467206895572832222_n.jpg20190710_162939.jpg 戦争はもう繰り返さない・・・という日本人の決意が、いろいろな形で今揺さぶられてきています。改憲の問題、国際的なレベルでの安全への脅威、等々。 今回ここを訪れてみて、改めて戦争の悲惨さを思いました。同時に、日本人が持っている才能の素晴らしさに感心させられました。厳しい世界情勢、経済状況の中で次々と技術を結集して、とてつもない戦艦を作ったのです。これが戦争以外のものに向いていたとしたら・・・ 最後に、ひとつ・・・笑ってはいけないのでしょうが、つい笑ってしまいました。 戦争末期には国内の鉄という鉄はほとんど使い果たしていた頃、「震洋」というベニヤ製の特攻兵器が作られていたということです。大日本帝国海軍の特攻特殊兵器の○四として開発されたベニヤ製のモーターボート型の特攻兵器です。 勝ち目がないと分かっていても後には引けなかったのでしょうね。 また機会があれば、鉄のくじら館を見学してみたいです。みなさんも行かれてはいかがですか・・・では、では。