さて、脳活トレーニングの正解はこちら!
夫人のネックレスは最後にやっと気づいた私でした。 名作の続きをご覧いただきましょう・・・ デューラー、アルブレヒト「アダムとエヴァ」1507年
同じくデューラー、アルブレヒト「三位一体の礼拝」1511年 ドイツ・ルネッサンスを代表する画家、版画家。神はその本質において一なる存在だが、同時に父、子(キリスト)、聖霊という三つの位格をもつという。中世神学で形成されたキリスト教の中心教義です。この絵では、聖霊としての鳩が聖なる光に包まれて翼を広げ、その下に王冠をいただいた父なる神、その神に守られるようにキリストが十字架にかかっています。(解説プレート)
フェルメール、ヤン「デルフトの眺望」1660年頃
バルデス・レアール、ファン・デ「世の栄光の終わり」1671年頃 この世の富や栄光や快楽の虚しさを諭す通称「ヴァニタス画」の中で最も強烈な印象を与える作品だそうです。地上での栄光と死後の肉体のおぞましさが、強烈な対比ですね。 審判者キリストの右手から下げられた巨大な天秤に悪徳と美徳の象徴が左右に乗せられていて、「これ以上でも、これ以下でもない」と記されています。神に対する信仰のみが魂の救済に関わるという教えがここに示されています。(解説プレート)
ゴヤ、フレンシスコ・デ「裸のマハ」1796~1800年頃 「マハ」とは、スペイン語で粋な下町娘を指す言葉だそうです。これまでの神話上の裸婦ではなく、神話や聖書のヴェールを剥いだ、女性そのものの提示に挑戦した作品。裸体画の歴史上で、魅惑と同時に艶聞もふりまいてきた名画の一つ(解説プレート)
ゴヤ、フレンシスコ・デ「着衣のマハ」1800~05年頃
ゴヤの作品をもう3つ。 耳が不自由だったゴヤは専制王フェルナンド7世のもと進歩的な知識人迫害に備えてマドリード郊外に1819年、別荘を購入し隠棲した。その別荘の漆喰壁に「黒い絵」と呼ばれる14点が油絵具で描かれていた。
まさに暗黒そのものを表していますね。怖くなります。
アイヴァゾフスキー、イヴァン「第九の波濤」1850年 荒海で船を襲う高波の中でも九番目のものが最も破壊的で恐ろしいという船乗りの言い伝えをいったもの(解説プレート)
ミレー、ジャン-フランソワ「落ち穂拾い」1857年 農民画家ミレーの43才の作品。収穫を終えた後、貧農がおこぼれにあずかるというもの。背景の持てる農民が山のような穀物を運んでいるのに対して、前景の持たざる農民との階級的な落差が描かれています。(解説プレート)
同じくミレー、ジャン-フランソワ「羊飼いの少女」1863~64年 女の子の可憐だが、どこかわびし気な佇まいが共感を誘います。足元には白いタンポポが彼女を慰めるかのように咲いています。貧しくとも静かで平和な田園風景。(解説プレート)
マネ、エドゥアール「笛を吹く少年」1866年 マネの代表作の中でも単純な構図と少年の鼓笛隊員というモティーフゆえに最も親しまれている作品の一つ。当時としては異例の平面的な構成。(解説プレート)
モネ、クロード「ラ・ジャポネーズ」1876年 華麗に日本趣味が出ていますね。画家の妻カミーユの愛らしさがでています。しかし、この3年後にわずか32才の若さで世を去ってしまいます。(解説プレート)
ルノワール、オーギュスト「団扇を持つ少女」1881年頃 くつろいだ雰囲気の人物画を得意とした画家。この少女にも親近感、あたたかみ、愛らしさ初々しさなどが感じられる。
セガンティーニ、ジョヴァンニ「湖を渡るアヴェ・マリア」1886年 一日を終えた牧人の家族が、小舟に乗って家路をたどる様子。帆をかけるアーチ形の骨組みの中に沈みゆく日と教会の塔が水に影を映していて、夕べの祈りにふさわしい静けさを感じさせます。(解説プレート)
かなりの数の作品をご紹介してきましたが、初日だけでB3階~B1階まで見ることができました。残念ながら、ここで閉館時間17:00が迫り、「せっかくなので、ゴッホの7つのヒマワリだけは観ていこう」と何とかぎりぎりで見てきました。 ゴッホ、フィンセント・ファン「ヒマワリ」188 “ヒマワリの画家”と言われたゴッホ。パリ時代にもヒマワリを描いたがテーブルに乗せた切り花。花瓶に入ったヒマワリは、1888年に移り住んだ南フランスのアルル時代に7点描きました。 これがおそらく最初のものと言われており、花の数が少ない分シンプルな構図。
つぎの作品は3番目に描かれたもの。青系統の背景が花の黄色を引き立てている。何点も描いていくうちに花の数が増えるのは、よりゴージャスで装飾効果を狙っているのかも知れません。(解説プレート)
ゴッホは太陽の光を黄色「聖なる色」とみて、この作品では背景まで黄色系統で統一している。
花の位置関係、構図、花瓶を乗せた台の色は1888年の夏に描かれたロンドンのヒマワリに近い。ヒマワリの季節が終わり生花からは描けなくなったので、それを模写した可能性があるという。(1889年)
この作品は1889年1月の制作とされ、ミュンヘンのものの模写とされている。黄色一色の他の3点に対し、次の1点を含み背景は明るい緑で、花瓶の色は部分的に異なるが、署名の位置まで同じになっている。
この作品もロンドンのものの模写とされている。
接写してみました。凹凸も再現されています。本当に見事な技術の陶板ですね。マーベラス!!
他にも、まだモネの大水連などありますが、紹介はこれぐらいにしておきましょう。とにかく「凄い!すごい!」ですから、是非皆さん、行ってみてくださいね。 ちなみにこの日の歩数は館内だけで7,876歩でした。
その4では、鳴門の渦潮(観潮船)と淡路人形浄瑠璃ですよ。お楽しみに!!